私は本が好きなので、床から天井まで壁一面を本棚にして、どんどん溜まりゆく本を保管していました。しかし1年ほど前、ほとんどすべての本を本棚ごと手放してしまいました。なぜそんなことをしたのか、我ながら理解に苦しみますが、おそらく「読みたくなったらまた買えばいいか」ぐらいの気持ちだったのだろうと思います。一度読んだら再読しない本がほとんどだったので、そんな、読みもしない本に壁一面ふさがれているのがいやになったのかもしれません。
その手放した本の中に、本書『しらふで生きる』もありました。急にまた読みたくなって、買い直しました。当時は単行本で持っていましたが、文庫本が出ていたので文庫本を。
町田康という作家
町田氏は昔「町田町蔵」という名前で「INU」というパンクバンドをやっていて、よく著書の中でも自身の過去のエピソードとしか思えない内容の記述が出てきます。
「まあ言わば僕のように東大を出て地位と財産を築いた者と中学を出てパンクロッカーになり悪評と借金の山を築いた者と、どっちが人間としてレベルが高いか。結果から逆算できるのではないか」と仰る方が出てくるかも知れない。
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
音楽活動の傍ら、俳優として映画・ドラマ・CMなどにも出演されています。90年代からは執筆活動も開始し、芥川賞をはじめ数々の文学賞を受賞しています。著書の中でも私は『告白』という長編小説が特に好きです。こちらも手放してしまいましたが。
本書の概要
作者は大酒飲みとして知られており、30年間毎日酒を飲み続けていましたが、ある年の年末、突如お酒をやめようと思い立ちます。そしてその日から一滴も飲んでいないそうです。
なぜそのような決断をしたのか、断酒のために行った認識改造(「私たちに幸福になる権利はない」「そもそも人生は楽しくない」など)、断酒をしたことによって心身にどのような変化が生じたか、実際の経験を通じて作者の独特の文体でリアルに、そしてコミカルに描かれています。
私もしらふで生きています
私も2020年10月より約4年間、お酒を一滴も飲んでいません。これだけ長い期間お酒を飲まないのは、はじめてのことです。それまではほぼ毎日しっかり酔うまで飲んでいました。味を楽しむというよりは、酩酊すること、意識を朦朧とさせて思考を停止させることが目的だったように思います。数々の粗相、失態、救急搬送。今思えば、もっと早くにやめるべきでした。
お酒をやめたのがこの本の影響だったのかどうかは、はっきり覚えていません。やめようとずっと思っていて、この本によってその決意が固まったか。あるいは、やめたばかりの時期で、同じように断酒した作家の本を読んでみたいと思ったか。どちらもありえます。こんなことすら覚えていない自分に愕然としています。
本書は2019年11月に単行本が発売されています。町田康は昔から好きな作家で、新刊が出るとだいたいすぐに買っているので、タイミングとしてはこの本がきっかけで私も断酒をしたという可能性は十分あります。
なぜか頻出する会計用語
会計関係の勉強をされていたのでしょうか、町田氏の著書にはわりと頻繁に会計用語が出てくるような気がします。本書でも、「飲酒とは人生の負債である」という章では以下のような文章があります。
「人生は楽しいはず。そりゃあそうかもしれないが、資産の反対側に負債があるように、純粋な楽しみというものはないはずだ」
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
「つまり、君は酒を飲む楽しみがそっくりそのまま人生の純資産になると言っているのだが、ははは、そううまくはいかないよ」
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
「要するに償却資産ということだろう」
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
長いことかかって築いた信用や友情という無形の資産よりも遥かに大きい有形の負債となるんだよ。
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
税理士の私としてはなんとなくうれしくなってしまいます。
絶望の3か月間
日常的に飲酒をしていた人にとって、いきなりお酒をやめることは簡単なことではありません。作者も最初の3か月間は相当苦しんだようです。
ことに最初の三か月目くらいまでは、自分は禁酒をしているのだ、自分は酒を断った人間だ。自分は酒を飲まないということが強く意識せられ、自分の人生にもはや楽しみはない。ただ、索漠とした時間と空間が無意味に広がっているばかりだ、という思いに圧迫されて、アップアップしていた。
そして反射的に、「こんなにも苦しい思いを和らげるためには酒を飲むしかない」と思い、「あ、そうだ、俺はその酒をやめているのだ」と思い出して絶望するということを七秒に四回宛繰り返していた。
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
私も、今でこそお酒のことを考えたり飲みたいと思ったりすることは一切なくなりましたが、やめたばかりの頃は作者と似たようなことを考えていたような気がします(さすがに7秒に4回も絶望はしませんでしたが)。
今まさにお酒をやめたばかりの人は、本書を読むと深く共感できるのではないでしょうか。作者の苦しみや絶望を一緒に感じながら読み進めたその先には、作者が実感した断酒によるメリットが書かれています。断酒は大変なことですが、本書によってその先に広がる光景を見ることができるので、希望が持てますね。
ほんの些細なよろこびを感じられるように
今お酒をやめようと思っている人に、「この本を読めばやめられますよ」と断言することはできないのですが(私がこの本でやめたかどうか記憶が定かではないので)、今お酒をやめている人にとって、やめ続けるのを助けてくれる一冊であることはおそらく間違いないと思います。
「酒なしでご馳走を食べる気にならない」以降の章では、具体的な断酒のメリット、たとえば「ダイエット効果」「睡眠の質の向上」「経済的な利得」などが挙げられていますが、特に心に残ったのは、「酒をやめると人生の真のよろこびに気づく」の章にあった、以下の文章です。
このたまらない解放感は、ほんの些細なこと、川のせせらぎを聞いて、背中に日の温もりを感じて、風に揺れる草花を見て感じる愉悦とイーコールであり、これはなんの負債も伴わない、神からの贈り物、人生の予めの純利益である。
しかし巨額な債務を、痺れるような、というか実際に痺れる、強烈な酔いを知ってしまった私たちはもはやこれを感知することはできない。
けれども酒を飲まない子供の頃は日々、そうしたよろこびを感知していたことを私たちは記憶している。
町田康『しらふで生きる 大酒飲みの決断』
お酒を飲まなくても、生まれたときにすでに備わっているよろこび。作者にならって会計的にいえば、「人生の予めの純利益」、すなわち、両親からの(あるいは先祖、神様からの)資本金・出資金といったところでしょうか。人生においても、自己資本比率を高めていきたいですね。ほんの些細なよろこびをいつでも感じられるように、忘れないように生きていたいものです。